遠い視線
1999年頃から柴川敏之は、「2000年後の41世紀に、私たちの現代社会が、“化石”として発掘されたとしたら、一体どのような形で出現するのだろうか?」という想定のもとに作品を作り続けている。それはたとえば蚊取り線香、ドラえもん、ベイブレード、キューピー人形にウルトラマンといったものたちで、それらがあたかも太古の遺跡からの発掘品であるかのように、表面が腐食し錆が付着しているとみえるように念入りに仕上げがなされているのだ。2003年には広島県立歴史博物館で、草戸千軒町遺跡(*1)という中世の遺構からの発掘物と、柴川の作品とが混ぜられて展示されるというユニークな展覧会(*2)が開かれたが、それらは一見では区別がつきにくいほど互いによく似ていたらしい。
こうした想定下の作品は、作者の意図通りか、あるはそれを越えてか、さまざまな想いに私たちを誘う。それは現代文明を遠い未来の視点から相対化するという意味合いを持つかもしれないし、逆に現代文明の産物へのフェティッシュな愛着をいっそうかきたてるものであるかもしれない。いずれにしろ「もの」とそれに対する人間の想いとの意味を、柴川の作品はもう一度考えさせずにはおかないのだ。もちろん類稀れなユーモアのセンスを伴ってではあるけれども。柴川にはこうした作品の一環として、印象派の絵が「化石」として発掘されたら、という想定のもとに造られた、カンバス(板?)と額縁を腐食させたような作品まである。「そもそも2000年後には絵画および美術という概念自体が存在しているのだろうか」という問いかけがそこに付随しているのだが、これもやはり柴川独自の、概念の脱臼のさせ方だといえるだろう。単なる出土品という「もの」に還元された「美術」は、私たちの目にどのように「出現」するのか。そういえば柴川の作品には、展示中に、お地蔵さんみたいに観客が自然発生的にお賽銭をあげていくものがある、とも聞いた。そうすると果たしてそれは「美術」なのか、なんなのか。そんなしち面倒くさい意味付けを越えた、愛すべき「もの」の領域にまで達したものであるのか。遠い未来の視線から眺められたものたちは、不思議な愛らしさをもって私たちのありようを見つめ返しているのだ。
*1. 広島県福山市の芦田川の中州に存在し、約300年前に大洪水で川に沈んでしまった伝説の集落。かつては「日本のポンペイ」といわれたが、
現在の研究では約500年前(室町時代後半)に衰退した説が有力。
*2. 「2000年後の冒険ミュージアム」記録集(柴川敏之編著)を参照。
「ジャパンデザインネット ウェブスカイドア現代篇」より転載|こちら|
個展パンフレット 『PLANET PIECE|柴川敏之展』、2006.10.31、a piece of work APS
倉林 靖
美術評論家