2000年後の未来を現代人の目線で考察

「2000年後に化石のように発掘された現代社会」をテーマに制作活動を展開している美術作家の柴川敏之。そして、21世紀を間近に控えた1994年、世界に先駆けて、建築家の磯崎新が未来型の美術館として位置づけ、誕生した“第3世代美術館”——奈義町現代美術館。今回の展覧会はその柴川の制作コンセプトと奈義町現代美術館のコンセプトが互いにリンクし、共鳴する形で開催したものである。

柴川は、21世紀を迎えた「現代」と、そこから先の2000年後という遙かなる「未来」をキーワードとし、この美術館全体を<“41世紀”の美術館>に見立てて、2000年後の世界で変容し風化した姿となり発見された、現代の文明社会における身近な産物を具体的に制作し、インスタレーションした。そして、2000年後の人々がそれらをどう感じ取り、どう見ていくのだろうか、といったことをわれわれ現代人に問いかけているのである。いわば、柴川は現代に生きる私達のタイムトラベルのパイロットであり、様々な文化文明の産物の2000年後の姿を、時空を越えてここに再現したのである。

柴川は過去に二つの大きなタイムトラベルの感動を経験した。一つは、イタリア留学時に訪ねた甦る古代都市・ポンペイを前にした時であり、もう一つは、柴川の住む福山市内に残る、草戸千軒の中世の集落跡(*)と出会った時である。

これらは、過去の事実を忠実に再現する驚きであるが、この感動をヒントにして、現代の事実が未来にどう映るか仮説と推理、想像を動員してその姿を創ろうとしているのが柴川の創作姿勢ではあるまいか。

もしも、2000年後に時を経て現代社会が発掘されたら、41世紀の人達はどのように感じるだろうか… 絵画や美術、あるいは美術館という建物自体もその時代に存在しているのだろうか。柴川は、それらの作品を通して問いかけ、関連企画のワークショップとレクチャーを絡めさせた内容で提示してみせた。

それは、2000年後の未来人の立場を、現代人の目線で考えたり、41世紀の未来から逆に現在を見直したりするという冷静で客観的な視座を得て、言うなれば観る人なりの想像力を喚起する起爆剤になるものであった。そして、2000年の時を飛び越えた時空の旅行は、私達の存在そのものへの問題提起ともいえるものであった。

この展覧会は、観客が作家であり、主役でもあった。したがって、この記録集は、その時の思考や想像力の断面を遥か未来の人たちに伝えて行くための記録集でもあるのだ。


*広島県福山市の芦田川の中州に存在し、約300年前に大洪水で川に沈んでしまった伝説の集落。かつては「日本のポンペイ」といわれたが、現在の研究では約500年前(室町時代後半)に衰退した説が有力。

個展カタログ 『未来美術館へ行こう! 柴川敏之展:記録集』、2007.3、奈義町現代美術館

岸本和明

奈義町現代美術館 主任学芸員

reviewshttp://www.planetstudio41.com/contents/reviews.html