秘蹟の地図
昔、冒険小説の好きな友人から聞いた話だ。
ある密林が火の海となり、そこにあった全てのものが灰となったが、一羽の鳥だけが難を逃れた。
この鳥が聞き慣れない言葉をくり返すので、この森のどこかに言葉を教えた者がいたのではないかと考えられるようになった。こうして、外界に知られず生活を営んでいた古の民族の存在が、一羽の鳥によって、私達に告げられたという。
現在の私達の文化も、何らかの形で脈々と続いてゆくのだろうが、ほんの一世紀もすれば、今生きている者は誰一人、ここにはいない。植物も、人も、大地も変化し続けている。この瞬間にも、宇宙の果てでまたひとつ偉大な文明が消滅しているかもしれないのだ。その存在を私達に語るのは、気が遠くなる程の時間をかけて、光の速度でやってきた小さな星の輝きだけであり、それをうつしとるのは、天文学者や観測者だけでなく、詩人や表現者の仕事といえるだろう。
柴川敏之は、刹那の間に滅びてしまったものに思いを馳せる作家である。
失う痛みを知ることで生まれてくる、いとおしいものを刻みつけようとする力。それは失われた土地や、滅びた文明、なくした人々への思いである。そこでは時間さえ交錯し、砂に埋もれたポンペイの街も、21世紀の我々の都市と透視図面のように二重に見え、草戸千軒の遺跡に眠る人々も、今日出会ったあなたとデジャヴュをひき起こすのだ。
現在の都市を遺跡としてみつける未来の発掘人は、果たしてどこまで私達の言葉や意志をすくいとって伝えようとするだろうか?
そして私達は今、何を伝える文明を創っているのだろうか?
私達が創り出したものの断片は、やがて時代を象徴するイコンとなり、発見者を待っているかのように眠り続けるだろう。
柴川敏之のインスタレーションは、私達の蘇生の時を幻視し、小さな箱庭を用意して、私達にもその姿を垣間見せてくれる。いとおしく懐かしい大地に立つ私を、その中心において。私という意識が、広がりを持って流出する時、地我像なるものが、真の意味で屹立する。柴川がつくった地に立つ我の像である「地我像(じがぞう)」という意識は、人体の形をとらず、そこに気配として在るのだ。
「惑星のある地我像」と同質の広がりを持った「月のある地我像」シリーズでは、イコンとなった魂がこちらをみつめている力強さを感じる。所有している時間が終わり、生から静寂へと移ったものたちが、何かの意志を持って佇んでいる。それをくみ取ろうとする内に、イコンが自分を映す鏡となってゆく。
地球を映す鏡のように輝く月や、遠く離れた名も知らない惑星を見通す、私達の脳髄の奥に広がる闇夜には、まだ解読されていない未来の記憶が描かれているのかもしれない。
何かを探そうとする美しいはたらきをアートと呼ぶとしたら、それを辿る地図が、ここにも埋もれている。
個展パンフレット 『柴川敏之展|惑星の箱庭』、1999.11、しぶや美術館
中村共子
ライター